三井寺の開山智証大師が858年竹生島で奇縁に依り彫られ、その後源家に伝わり、再興に当り頼朝公深く信仰し天下を平定される。 又徳川家康公も厚く信仰され、天下の平和を築かれ、除波辨才天を改め開運出世辨才天と改称されました。 |
芝増上寺山内子権現ニ有 [ ]山中清林院[ ]社ノ辺ニ在 |
古池や蛙とひこむ水の音 | 祖翁の高吟也 |
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あれほとの雲を起すや雨蛙 | 古調庵万嶽 |
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八十五歳 |
碑陰ニ 文化十年初夏 松蚤堂門光 此句師固辞すといへと既に直筆を乞ふて[不朽の]石面に彫刻しける |
大正8年(1919年)9月23日、永井荷風は芝公園を訪れた。 |
歸途芝公園瓢箪池の茶亭に憩ふ。秋の日早くも傾き、やがて黄昏の微光樹間にたゞよふさま言はむ方なし。 |
昭和10年(1935年)3月14日、高浜虚子は七宝会で弁天池へ。 |
三月十四日。七宝会。芝公園、弁天池茶亭。 神あれば拝し且行く春の人 ころびたつ子に鳩のたつ春の風 御霊屋にちりばめ咲ける椿かな 春の山増上教寺聳えたり |