中野区登録文化財 |
ここは、哲学堂を創った井上円了の墓所です。 円了は、安政5年(1858年)現在の新潟県三島郡越路町に生まれ、哲学者であり、また教育者として、明治の中頃から大正にかけて多彩な活動をくりひろげました。 とくに、西洋哲学による仏教の新しい解釈に基づいた既成仏教の革新、キリスト教の批判や迷信打破の運動は、わが国の文化史に特筆されるものといわれています。 また、哲学館(後の東洋大学)と哲学堂を創立したのは、円了が提唱する「護国愛理」をもとに学校教育と社会教育の振興をはかるためでした。こうして、国民道徳の普及と向上「考える人」の養成をめざし国家への報恩を願ったといわれています。 円了は大正8年(1919年)巡回講演の旅行中、中国大連市(現 旅大市)で病死し、東洋大学関係者の縁故で当寺に葬られました。井桁の上に円形の石をおいて井上円了の名前を表現した墓石のデザインは円了の生前の発意といわれています。
中野区教育委員会 |
芭蕉が『奥の細道』の旅を終え伊勢へ足をのばした後、故郷上野へ帰る途中に伊賀街道の長野峠で詠んだものとされている。 |