2008年東 京

百草園〜碑巡り〜
indexにもどる

京王線百草園駅の南の稲城日野線は川崎街道。


川崎街道から松連寺坂を上ると、百草園がある。

 百草園は多摩丘陵の景勝の地を占めている。

 明治初年まではここに松連寺と称する寺院があったが廃寺となったのを百草出身で横浜に在住していた青木角蔵氏が庭園及び旧屋を復興、改めて百草園と称し開放した。

 松連寺の創建は遠く奈良時代であるが、亨保年間小田原城主大久保候室寿昌院殿慈岳元長尼が家康の長男岡崎三郎信康追悼のために再建し、慈岳山松連寿昌禅寺と号した。

 現在では京王電鉄の所有である。

日野市教育委員会

花の季節を外れた百草園は人がいない。

百草園に入ると、若山牧水生誕百周年歌碑があった。



小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君

第2歌集『独り歌へる』の歌。

 『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美、榎本篁子著)によれば、全国で136番目の牧水碑である。

石段を登る。


寿昌院手植えの梅


 小田原城主大久保侯侯室寿昌院慈岳元長尼が家康の長男岡崎三郎信康追悼のため自らこれを植樹したと伝えられる。

松連庵


松連庵の左に若山牧水の歌碑があった。


山の雨しばしば軒の椎の樹にふり来てながき夜の灯かな

摘みてはすて摘みてはすて野のはなの我等があとにとほく続きぬ

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり

百草園にて 若山牧水

昭和46年(1971年)11月、建立。

若山旅人の設計である。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、62番目の牧水碑。

薮萓草(やぶかんぞう)が咲いていた。


萓草(かんぞう)は、別名忘れ草。

松連庵の奥に芭蕉の句碑が2基。



志ばらくは花の上なる月夜かな

出典は『初蝉』(風国編)。

貞亨5年(1688年)春、「笈の小文」の旅の途上で詠まれた句。

碑陰に「明治廿二年三月 在横浜 三掘武藏 俳號月華建之」とある。



春もやや希し紀調ふ月と梅

出典は『薦獅子集』(巴水編)。

 元禄6年(1693年)1月20日、深川芭蕉庵から大垣の木因に宛てた書簡にある。

 碑陰に「明治二十年亥初冬 神奈川縣下武藏國久良岐郡大岡村 平戸清八建立」とある。

ともに明治20年(1887年)建立のようである。

百草園には月見塚と言われた芭蕉の句碑があったらしい。

まだ紫陽花が咲いていた。


2008年東 京〜に戻る