2010年東 京

小仏関跡〜「先賢彰徳碑」〜
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八王子市裏高尾町の旧甲州街道添いに小仏関跡がある。


史跡小佛關址


 日光街道の栗橋、東海道の箱根、中山道の碓氷と並んで重要な関所であったようだ。

 国指定史跡
小仏関跡

 小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関ともよばれた。武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されるとともに整備された。

 この関所は、道中奉行の支配下におかれ、元和9年(1623年)以降4人の関所番が配備された。

 関所の通過は、明け六ツ(午前6時)から暮六ツ(午後6時)までとし、しかも手形を必要とした。鉄砲手形は老中が、町人手形は名主が発行。この手形を番所の前にすえられた手形石にならべ、もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという。

 特に「入鉄砲に出女」は幕府に対する謀反の恐れがあるとして重視し厳しくとりしまった。抜け道を通ることは「関所破り」として「はりつけ」の罰が課せられるなど厳しかったが、地元の者は下番を交替ですることもあって自由な面もあったらしい。明治2年(1869年)1月の大政官布告で廃止され、建物も取りこわされた。

八王子市教育委員会

甲州街道駒木野宿


ここ駒木野は日本橋を西へ去ること約12里の地点である。

 元禄8年(1695年)8月11日、山口素堂は「甲山記行」の旅に出て八王子に泊まり、12日の朝駒木野宿を通る。

 文化3年(1806年)6月18日、菜窓菜英は『山かつら』の旅で駒木野の関を越える。

小仏関跡に「先賢彰徳碑」があった。


昭和5年(1930年)、浅川好史会建立。尾崎行雄書。

 碑陰の初めに与謝野鉄幹の「すがすがし関所の松風にとこしえ聞くは大人(うし)たちのこえ」が刻まれている。

大人(うし)たち」は、落合直亮と弟の落合直澄・川村光豁(正平)。

与謝野鉄幹は落合直文の弟子、落合直文は落合直亮の養嗣子である。

 昭和5年(1930年)7月19日、与謝野鉄幹・晶子夫妻は記念碑除幕式に出席している。

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