2009年東 京

多摩川〜芭蕉の句碑〜
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JR青梅線日向和田駅前の国道411号は青梅街道。

多摩川を渡る。


玉川の水におぼれそ女郎花


 昭和6年(1931年)3月21日、高浜虚子は武蔵野探勝会で青梅の梅を見に行った。高野素十等同行。

 梅見のお客が混雑すればする程いたる処に鶯がなく。夕方になつて風が吹きたつてくるともうこの鶯はどこにも鳴かない。

 僕達の仲間でも四五人この笛を買つた。一番上手なのがすゝむ君といふ評判。一番下手なのが――といふと怒るかも知れないが――水竹居主人。明暗流で吹きこむのだからたまらない。たうとう鶯ののどを痛めてしまつて、椎花翁にオイオイ。それは按摩うぐひすだ。」なんて云はれてしまつた。

『武蔵野探勝』(青梅の梅)

三月二十一日。武蔵野探勝会。青梅梅林。

 一匹の鴬ゆるく啼いてをり

 しよひ梯子ひつかけあるや梅の枝

 繭買うてぶら提げをるや梅見人

 多摩の山左右に迫りて梅の里


神代橋に中曽根康弘の句碑があった。


古さとに澄める空あり雁渡る

中曽根康弘は箱根の東光庵庵主。

多摩川を渡ると、吉野街道。


吉野街道沿いの松葉屋前に芭蕉の句碑があった。


昭和41年(1966年)3月、建立。

梅の香にのつと日の出る山路哉

元禄7年(1694年)の春、芭蕉51歳。『炭俵』冒頭の句。

青梅にふさわしい句である。

梅の公園の梅はまだほとんど咲いていなかった。


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