2022年東 京

行人坂〜富士見茶屋〜

お不動さんから林試の森へ
歴史散策の径

目黒駅の高台から目黒川の谷へ下る権之助坂。その左手に富士見の名所として知られた急勾配の行人坂がある。江戸の初め、「行人」と呼ばれる修験僧が坂の途中にお堂を建て、修行に励んだそう。江戸の町民がお不動さんかいわいの行楽地に行き来した坂だ。

富士見茶屋


『江戸名所図会』から

西南遥にひらけて芙蓉の白峯を望む。風繊雲を掃(はらつ)て正に玄冬の色をあらハすかとミれば、忽然として又姿を失ふ事、須臾にして定る事なく、時として其観を改む。実に佳景なり。

   霧時雨ふじをミぬ日ぞおもしろき   桃青翁

目黒行人坂富士


広重画 江戸自慢三十六興から

同所同じく西の方、目黒へ下る坂を云ふ。寛永の頃、湯殿山の行者某、大日如来の堂を建立し、大円寺と号す。

『江戸名所図会』(行人坂)

明王院の後の方、西に向へる岡をいへり。古へは楓樹数株梢を交へ、晩秋の頃は紅葉夕日に映じ、奇観たりしとなり。されど今は楓樹少くだゞ名のみを存せり。

『江戸名所図会』(夕日の岡)

富士見茶屋と夕日の岡


江戸時代、この辺には「富士見茶屋」があり、大勢の参詣客や旅人がここで一服、秀麗な富士の眺めを楽しんだ。また、坂の周辺は夕日と紅葉が見事で、夕日の岡と呼ばれていた。

勢至菩薩


目黒川架橋供養勢至菩薩石像

 小堂の中にある石造物は3段の台石を含め総高190cmで、一番上は蓮華座の上で合掌し、右膝を立てて座る勢至菩薩像です。小堂の前を通る行人坂を下りた先には目黒川がありますが、江戸時代中期の目黒川架橋について台座石の前面と両側面に銘文が刻まれています。

 銘文は宝永元年(1704年)のもので、西運という僧が目黒不動尊と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中で人々から受けた寄進ににより、川の両岸に石壁を築き雁歯橋を架けたということが書かれています。目黒川架橋の歴史を示す、貴重な文化財です。

目黒区教育委員会

お七の井戸


八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。

吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。

明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園に架け明治13年(1880年)頃まであった。

この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。

文京区の吉祥寺に「お七・吉三の比翼塚」がある。

太鼓橋


同所坂下の小川に架(わた)せり。(目黒川といへり。)柱を用ひず、両岸より石を畳み出して橋とす。故に横面よりこれを望めば、太鼓の胴に髣髴(さもに)たり。故に世俗、しか号く。享保の末、木食上人(心誉をいう歟。)これを制するとなり。

『江戸名所図会』(太鼓橋)

ホテル雅叙園東京へ。

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