大正3年(1914年)3月16日、愛新覚羅浩は嵯峨侯爵家の嵯峨実勝(さねとう)と尚子(ひさこ)の長女として誕生。 |
昭和12年(1937年)4月3日、愛新覚羅溥傑と浩の結婚式が軍人会館で行われた。 |
4月3日、いよいよ結婚式の当日を迎えました。式場は軍人会館、満州国からは皇帝の名代として熙洽(シーチア)宮内府大臣、日本側からは皇族とご縁つづきの故をもって竹田宮恒徳王および妃殿下が来臨くださることになりました。
愛新覚羅浩『「流転の王妃」の昭和史』 |
昭和16年(1941年)4月5日、石塚友二は九段軍人会館で結婚。石田波郷も出席した。 |
昭和17年5月、中村金鈴氏と葛西の吉田勲司宅を訪ね、鳴とよむ葭切の声の中で饗応された。席に馬酔木句会で一度会つた吉田安嬉子あり、頃合をみて二人きりにされた。
石田波郷『波郷句自解』
すでに酒肴のととのえられた義兄、吉田勲司居に父母も来て、小松川に住む中村金鈴さんと波郷の到着を待つばかりとなった。3月、はじめて逢った時は、長髪をかき上げ、如何にも書生らしく紺絣を着ていた筈なのに、いま向うから国民服をきちんと着た金鈴さんと並んで来るひとを見て驚いた。焦茶のセルに大きな素足、その上に青々とした坊主頭はどう見ても若き僧という感じなのである。これには実にびっくりしたが、潮の香の漂う二階に二人にされて黙って聴いていた。
石田あき子「波郷句鑑賞」 |
昭和17年(1942年)6月27日、石田波郷は軍人会館で吉田安嬉子と結婚。 |
吉田安嬉子と結婚 2句 |
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露草の露ひかりいづまことかな |
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露草の瑠璃十薬の白繁り合へ |
『風切』 |
六月の雨さだめなき火桶かな |
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蜩(ひぐらし)や蝶のみ杉の秀をゆきて |
『風切』 |