2022年東 京

新橋親柱〜銀座柳の碑〜

大通り筋出雲町と芝口一丁目との間にかくる。正徳元年辛卯朝鮮人来聘の前、宝永七年庚寅この所に新たに御門を御造営ありて、芝口御門と唱へ、橋の名も芝口橋と改められしが、享保九年正月廿九日の火災に焼亡するの後は、復旧(いにしへ)の町屋となされた。

この川筋の東、木挽町七丁目と芝口新町の間に架(わた)せしを汐留橋といふ。


港区新橋1丁目の銀座中央通り沿いに新橋親柱があった。


港区文化財 新橋親柱

 新橋親柱は、かつて新橋と銀座の間を流れていた汐留川に架けられていた橋で、昭和38年(1963年)川の埋め立て工事とともになくなりましたが、現存する「新橋親柱」は、大正14年(1925年)に長さ20m、幅27mの鉄筋コンクリートで造られた橋の一部で、地域名の由来を今に残す貴重な遺構です。

港区教育委員会

歸途數寄屋橋朝日新聞社入口に銀座の柳復活記念祭とか書きたる掲示を見る。かゝる事に復活といふ宗教上の語を用るも之を見て怪しみ笑ふものなし。言葉の亂かゝは人心の亂れたるを証するものなり。

『斷腸亭日乘』(昭和7年3月25日)

「銀座柳の碑」があった。


西条八十
中山晋平曲

植えてうれしい銀座の柳
江戸の名残りのうすみどり
吹けよ春風 紅傘日傘
今日もくるくる人通り

昭和29年(1954年)4月1日、「銀座文化 2」として碑銀座通連合会建立。

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