応永年間(1394〜1428)、紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられるそうだ。 |
文政3年(1820年)3月に江戸時代後期の狂歌師大田南畝(蜀山人)(1749〜1823)の書による銘文が刻まれています。 外部は幅150cm、高さ60cm、奥行64cm、内部の鉢の部分は幅126cm、深さ23cm、奥行40cmあります。 |
正 面 | 熊野三山 十二叢祠 洋洋神徳 監於斯池 大田覃 印 印 |
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右側面 | 「文政三年庚辰」暮春 |
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左側面 | 奉納 淀橋 |
白桃や雫もを(お)ちず水の色 | 桃隣 |
緋桃は火のごとくなるねど、白桃はながるゝにちかかるべし。「ひさしく薪水の労をたすけて、此句の入(ニツ)処あさからず」と、阿叟もを(お)きあがり申されし也。 |