2013年東 京

十二社熊野神社〜天野桃隣の句碑〜
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新宿区西新宿の新宿中央公園に十二社熊野神社(HP)がある。


淀橋の南、角筈村にあり。祭神紀州熊野権現に同じ。本郷村成願禅寺奉祀の宮なり。社記に云ふ、応永年間鈴木荘司重邦が後裔鈴木九郎某なる人ありて、紀州藤代に住めりしが、流落してこの中野の地に移り住す。熊野権現は産土神たるにより、宅の辺の丘陵(をか)を開きて小祠(ほこら)を営み、尊信深かりし。然るに、九郎あるとき北総葛西の市に、飼ふ所の痩馬を売りて、価一貫文を得たる帰路に臨んで浅草に至り、その得る所の銭の緡(さし)を解きてみるに、悉く大観銭なり。九郎心裏(こころ)に思ふ所ありて、即ち観音堂に詣で、その銭を宝前に奉り、手を空うして帰りしが、それより後はからず幸福を得てその家大いに冨をなせり。故に応永十年癸亥社を再興し、更めて十二所の御神を勧請し奉り、田園等若干(そくばく)を附す。数世を経て後荒廃におよび、神燈光疎かに祭奠常に闕くといへども、猶感応の速かなるを以つて村民恐怖し、遂に享保の頃、官府に訴へて成願寺奉祀の宮とす。しかありしより已降(このかた)、神供厳重に祭祀懈(おこた)る事なし。九月二十一日を祭祀の辰とす。


世人誤て十二そうといふ多景にして遊覧多し」とある。

十二社熊野神社


 応永年間(1394〜1428)、紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられるそうだ。

御祭神は櫛御気野(くしみけぬの)大神(素戔嗚大神)・伊耶那美(いざなみの)大神。

社殿の右手奥に大田南畝の水鉢があった。


文政3年(1820年)3月に江戸時代後期の狂歌師大田南畝(蜀山人)(1749〜1823)の書による銘文が刻まれています。

外部は幅150cm、高さ60cm、奥行64cm、内部の鉢の部分は幅126cm、深さ23cm、奥行40cmあります。

正 面
 熊野三山 十二叢祠 洋洋神徳 監於斯池 大田覃 印 印

右側面
 「文政三年庚辰」暮春

左側面
 奉納 淀橋

その奥に天野桃隣の句碑があった。


白桃や雫も落ず水の色

出典は『己が光』

白桃や雫もを(お)ちず水の色
   桃隣

 緋桃は火のごとくなるねど、白桃はながるゝにちかかるべし。「ひさしく薪水の労をたすけて、此句の入(ニツ)処あさからず」と、阿叟もを(お)きあがり申されし也。


『続猿蓑』『藁人形』にも収録されている。

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