水原秋桜子の句碑

薔薇の坂にきくは浦上の鐘ならすや



長崎市平野町に長崎原爆資料館がある。


昭和27年(1952年)5月23日、水原秋桜子は初めて長崎を訪れた。

   国際墓地

子雀を寝墓を見よと草なびく

   途上

薔薇の坂にきくは浦上の鐘ならずや

『残鐘』

長崎原爆資料館前のセントポール通りに水原秋桜子の句碑があった。



薔薇の坂にきくは浦上の鐘ならすや

 句碑の文字に金泥を入れるのは違和感があるが、長崎では普通のことらしい。

 昭和30年(1955年)、長崎国際文化会館、建築。

 昭和33年(1958年)1月20日、金子兜太に長崎転勤発令。28日長崎駅着。

 昭和36年(1961年)8月、長崎県俳句協会「原爆句碑」建立。

凍焦土種火のごとく家灯る
   下村ひろし

弯曲し火傷し爆心地のマラソン
   金子兜太

 昭和51年(1976年)5月23日、長崎馬酔木会及び「棕梠」の会建立。代表は下村ひろし。

 すぐに式が始まった。下村君の報告、市長さんの祝辞と型のごとく進み、下村君のお孫さんの手で幕の引かれた句碑が現われた。蛇紋岩というので色も美しく、形もすらりとしている。私の書いた字が少し小さかったらしい。或いはあたりが広いので、そう見えるのかもしれない。西谷さんのお嬢さんから見事な薔薇を頂戴する。

「長崎と島原」

 秋桜子は句碑除幕式出席の後、島原・雲仙も訪れている。久野治『秋桜子句碑順礼』によれば60番目の句碑である。

 平成8年(1996年)4月、被爆資料を展示していた長崎国際文化会館を建て替えて長崎原爆資料館が開館した。