二条為冬卿は「和歌の家」御子左家(みこひだりけ)嫡流二条為氏の三男として生まれました。 和歌の才能にも恵まれ後醍醐天皇の親任も厚かったのですが、南北朝の争いに巻き込まれ、足利尊氏らを討つため尊良親王に従って出陣しました。 しかし、足利方の勢いに押され、ここ佐野原の地に陣を張りましたが、建武2年(1334年)12月12日激しい戦いの末に斃れました。 明治維新後、国や地元有志の努力で残されていた将軍塚の前に社殿を建て、明治9年(1876年)佐野原神社として創立されました。 |
よそめにはさそまかふらむやまさくら 木の下にたに雲かとそ見る
和歌「花十首」から
山かせや夕涼しくなりぬらん
『菟玖波集』巻四(秋)連歌(上)253 |
元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。 |