1918(大正7)年、内田信也により「内田別邸」として拓かれたのがこの「起雲閣」の始まりです。 その後、1925(大正14)年には鉄道王の異名を持つ根津嘉一郎の手に渡り、「根津熱海別邸」として意匠を凝らした洋館や庭園の整備がすすめられました。 第2次世界大戦後の1947(昭和22)年、桜井兵五郎が旅館「起雲閣」として開業してからは、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治といった日本を代表する文人にも好まれ、特に船橋聖一や武田泰淳は、その代表作をはじめとする数多くの作品をここで執筆しました。 そして2000(平成12)年、 熱海市はこの由緒ある建物と庭園を文化と観光の拠点とするために整備し、一般公開しています。 |
昭和23年(1948年)3月15日、志賀直哉、谷崎潤一郎来館。 昭和23年(1948年)3月18日、太宰治「大鵬」に宿泊。 |
この前後3月7日〜31日、太宰治は起雲閣別館に滞在し『人間失格』の「第二の手記」まで執筆。 4月、三鷹の仕事部屋で「第三の手記」前半を書き、4月29日から5月12日まで大宮の大門町3丁目で「第三の手記」後半と「あとがき」を執筆した。 |