昭和61年3月 建之 |
島木赤彦は船原温泉から土肥峠を越え、大正14年1月末から2月にかけて土肥に遊ぶ。「土肥温泉」連作は『柿蔭集』に収められているそうだ。 |
大正15年(1926年)3月27日、赤彦は柿蔭山房で死去。50歳であった。没後の7月、第5歌集『柿蔭集』刊。 |
若山牧水は昭和2年(1927年)9月9日から21日まで船原温泉で湯治。翌昭和3年(1928年)9月17日、牧水は43歳で永眠。 |
昭和10年(1935年)2月25日、与謝野寛・晶子夫妻は船原峠を越え、土肥温泉へ。 |
ふた月を遅れて来れど我友の見しごと寒し船原の川 船原の大樹の椎の霜に堪へ二百歳経て人の注連張る |
大木の梅より出でて山蔭の船原川に射すひかりかな 半島の山集りてかすめるを見つつわれ越ゆ船原峠 |
昭和32年(1957年)2月16日、水原秋桜子は船原峠を越え、土肥温泉に赴く。 |
二月十六日、赤光会の吟行に加りて西伊豆に赴く。船原峠にて 紅梅を麓に惜む峠越
『蓬壺』 |