下 町墨田区
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旧安田庭園〜馬酔木〜

JR総武線両国駅西口を出ると、両国国技館の北に旧安田庭園がある。


沿革

 この地は元禄4年、当時下野国足利2万石の領主であった本庄因幡守宗資が幕府から拝領して下屋敷を構え、以後、代々本庄家に引き継がれてきたものである。庭園は宗資の築造といわれ、隅田川の水を導いた潮入回遊式庭園で、規模は小さいが江戸名園の1つに数えられていた。

 明治維新後に一時、旧備前国岡山藩主池田章政の邸地となり、更に明治24年、安田善次郎の所有となった。

 善次郎の没後、その意志によって大正11年東京市に寄付され、一般に公開されることになったが、翌年9月の大震災により、ほとんど旧態を失った。市は、幸いにして残った地割り石組を基にして復元に努め、昭和2年7月、市民の庭園として開園した。

 昭和42年4月東京都から墨田区に移管になったが、戦後の隅田川の汚濁により池はよごれ、公害等の影響によって樹木が枯れるなど、名園としての面影が失われつつあった。墨田区において潮入の池の再現、樹木の植栽、修景施設の手入れなど、その全面的改修工事を行い、昭和46年5月、名園といわれた往時の姿を復元したものである。

旧安田庭園


両国公会堂が映っている。

両国公会堂は大正15年(1926年)竣工。

平成13年(2001年)4月、老朽化のため使用停止。




百合鴎(ゆりかもめ)


在原業平の歌で有名な都鳥は百合鴎のこと。

名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

『伊勢物語』(第9段)

旧安田庭園に芭蕉の句碑があるはずだが、なかなか見付からない。

池を3周して、やっと見つけた。



ミの虫の音をきゝにこよ草の庵

出典は『あつめ句』

貞亨4年(1687年)秋、芭蕉44歳、深川芭蕉庵で詠んだ句。

享和3年(1803年)、建立。

馬酔木が咲いていた。


馬酔木(あしび)はツツジ科の花。

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