下 町墨田区
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牛嶋神社〜浮島の牛牧〜

墨田区役所から枕橋で北十間川を渡って隅田公園へ。


隅田公園の言問通り側に牛嶋神社がある。


御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)

 須佐之男命は伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)の弟。素盞鳴尊とも書く。

素盞鳴命(すさのおのみこと)について、詳しくは鈴木三重吉『古事記物語』

 貞観年間(859〜877)に慈覚大師が須佐之男命(すさのおのみこと)を郷土の守護神として迎えたのが始まりといわれているそうだ。

寛永20年(1643年)、3代将軍徳川家光が牛島で鷹狩りをする。

境内に撫牛(なでうし)がある。


撫牛(なでうし)

 撫牛の風習は、江戸時代から知られていました。自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおるというものです。牛嶋神社の撫牛は体だけではなく、心も治るというご利益があると信じられています。また、子どもが生まれたとき、よだれかけを奉納し、これを子どもにかけると健康に成長するという言い伝えもあります。

 この牛の像は、文政8年(1825年)ごろ奉納されたといわれ、それ以前は自然石だったようです。

墨田区教育委員会

 文化7年(1810年)9月14日、小林一茶は俳友松井と浅草寺を参拝した後、牛嶋神社に参拝した。

十四 晴 松井ト浅草参 曲馬けいこ有 牛御前参

『七番日記』(文化7年9月)

松井は日本橋久松町の人。

 午(牛)嶋の午(牛)も鳴べき初時雨

『七番日記』(文化11年10月)

小林一茶が詠んだ牛は自然石だったようだ。

江戸・東京の農業浮島の牛牧

 文武天皇(701〜704)の時代、現在の向島から両国辺にかけての牛島といわれた地域に、国営の牧場が設置されたと伝えられ、この周辺もかつては牛が草を食んでいたのどかな牧場で、当牛嶋神社は古代から牛とのかかわりの深い神社であったといえます。

 大宝元年(701)、大宝律令で厩牧令が出され、平安時代までに全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)が39ヶ所と、天皇の意思により32ヶ所の牧場(勅旨牧)が設置され、この付近(本所)にも官牧の「浮嶋牛牧」が置かれたと伝えられています。

 時代は変わり江戸時代、「鎖国令」が解けた事などから、欧米の文化が流れ込み、牛乳の需要が増えることとなりました。

 明治19年の東京府牛乳搾取販売業組合の資料によると、本所区の太平町、緑町、林町、北二葉町と、本所でもたくさんの乳牛が飼われるようになりました。とりわけ、現在の錦糸町駅前の伊藤左千夫「牛乳改良社」や寺島の「大倉牧場」は良く知られています。

浅草神社へ。

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