下 町台東区
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天王寺〜山口素堂〜

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台東区谷中に天王寺という寺がある。


上野谷中門の外にあり。天台宗にして、本尊は伝教大師の作の毘沙門天を安置す。当寺始めは日蓮宗にして、宗祖上人を開山とし、日長上人中興ありて、由々舗(ゆゆしき)一宗の寺院たりしが、元禄年中故ありて台宗に改められ、爾(しかりし)より後東叡山に属す。その時大明院宮の御願によりて、叡山横川にありし伝教大師の作の毘沙門天の像をこゝに移し、本尊とせらる。京師鞍馬山の毘沙門堂は比叡の乾(いぬゐ)に当りて、仏法守護の道場なれば、当寺も東叡山の乾に当るを以つて鞍馬寺に比せらるゝといへり。境内に桜桃の二花(じくわ)ありて春時爛漫たり。

『江戸名所図会』(長燿山感応寺)

護国山天王寺


天台宗の寺である。

本尊は毘沙門天。

 日蓮上人はこの地の住人、関長燿(ながてる)の家に泊まった折、自分の像を刻んだ。長燿は草庵を結び、その像を奉安した。 ─伝承による天王寺草創の起源である。一般には、室町時代、応永(1294−1427)頃の創建という。『東京府志料』は、「天王寺 護国山ト号ス 天台宗比叡山延暦寺末 此寺ハ日蓮宗ニテ長燿山感応寺ト号シ 応永ノ頃ノ草創ニテ開山ヲ日源トイヘリキ」と記している。東京に現存する寺院で、江戸時代以前、創始の寺院は多くない。天王寺は都内有数の古刹である。江戸時代、ここで富くじ°サ行が開催された。目黒の滝泉寺湯島天神の富とともに、江戸三富と呼ばれ、有名だった。富くじは現在の宝くじと考えればいい。

 元禄12年(1699年)幕府の命令で、感応寺は天台宗に改宗した。ついで天保4年(1833年)、天王寺と改めた。境内の五重塔は、幸田露伴の小説、『五重塔』で知られていた。しかし昭和32年7月6日、惜しくも焼失してしまった。

台東区教育委員会

享保元年(1716年)8月15日、山口素堂は葛飾で没。75歳。

上野谷中感応寺中瑞音院に葬る。

上野谷中の天王寺に位牌がある。

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