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千住神社史蹟八幡太郎源義家陣営の地〜

 千住大橋駅から国道4号(日光街道)を行き、千住警察入口で左の大師道を歩く。


千住神社があった。


史蹟八幡太郎源義家陣営の地

 延長4年(926年)伏見稲荷より御分霊を勧請して、稲荷神社を創建。

 永承6年(1051年)源義家は奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ッ森(千住神社)に陣営し、神前に戦勝を祈願したと、古記録に記載されているそうだ。

 弘安2年(1279年)に武蔵国一の宮氷川神社の御分霊を勧請し、氷川神社を創立した。この為に鎌倉時代より江戸時代には、ここを二ッ森と言っており、旧候録には代々の将軍が鷹狩りを行ったという記事が随所に記録されているそうだ。

 江戸時代に日光街道が開通すると、千住宿の西にあるので「西の森」と呼ばれた。

 明治6年6月には稲荷神社を氷川神社に合祀し、西森神社と名を改め、さらに大正4年12月15日以来、千住神社と改称した。

千住神社の参道


芭蕉の句碑があった。


ひとの短を云事なかれ

己の長を説く事なかれ

ものいえば唇さむし秋の風

慶応2年(1866年)、建立。

裏面に「明日や支那西洋も天の下」(八八翁月窓)が彫られているそうだ。

参道が続く。


千住神社の本殿


祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)

昭和20年(1945年)4月13日の空襲で社殿は焼失。

昭和33年(1958年)9月、現在の社殿が完成した。

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