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清亮寺〜槍掛けの松〜

千住名倉医院の手前に道標がある。


東へ   旧水戸佐倉道

北へ   旧日光道中

 現在の水戸街道(国道6号)は日本橋を出て直ぐに日光街道(国道4号)と分かれるが、昔の水戸海道は千住を過ぎてから分岐した。

 嘉永4年(1851年)12月14日、吉田松陰は東北遊歴の旅に出る。

 千住橋を越えて千住驛に至る。日本橋よりここに至る二里、皆連甍鱗々たる中なり。右折して道を取る。是れを水戸道と爲す。道狭く家稀に、四顧すれども山を見ず、唯だ平田の漫々たるあるのみ。


旧水戸佐倉道を行くと、清亮寺があった。


久榮山清亮寺


日蓮宗のお寺である。

元和5年(1619年)、創建。この地は水戸海道の入口であった。

天保4年(1833年)、総欅造りで本堂再建。

 明治初年日本医学発展のために解剖された囚人11名を供養した解剖人塚があるそうだが、私は見なかった。

 昭和32年(1937年)、石田波郷は清亮寺を訪れて「解剖人塚」を見ている。

 かつて水戸海道に面して古松が茂り水戸光圀公ゆかりの「槍掛けの松」として有名であったそうだが、今は無い。

「槍掛けの松」


「かどや槍かけだんご」にその名を残すだけ。

かどや槍かけだんご


荒川土手へ。

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