寛永元年(1624年)、霊岸島(中央区)に創立。明暦3年(1657年)の振袖火事で焼失、この地に移転した。境内に松平定信の墓がある。 |
松平定信(1758〜1829)は八代将軍徳川吉宗の孫、田安宗武の子として生まれ、陸奥白河藩主となり、白河楽翁を号していた。 天明7年(1787年)6月に老中となり、寛政の改革を断行、寛政5年(1793年)老中を辞している。定信は老中になると直ちに札差(ふださし)統制(旗本・御家人などの借金救済)・七分積立金(江戸市民の救済)などの新法を行い、幕府体制の立て直しを計った。 また朱子学者でもあり、『花月草紙』、『宇下の人言』、『国本論』、『修身録』などの著書もある。 |