この地は、徳川家康が江戸に幕府を開いてから田が宅地に造成された。その後、明暦3年(1657年)の振袖火事により、京都東本願寺の別院浅草本願寺とその末寺46ヵ寺が神田からこの地に移ってきた。そして次第に門前町が開け、寺町として発展した。 明治2年(1869年)浅草松清町が誕生した。町名は、大松寺の「松」と清光寺の「清」をとった。清光寺は浄土宗芝増上寺の末寺で、寛文5年(1665年)に水戸光圀が駿河国から当地に移したといわれている。 なお、本町の東側本通りには国際通り商店街、西側には合羽橋道具街(厨房機器)があり賑わいを見せている。 |