下 町中央区
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京橋の親柱〜歌川広重〜

銀座通り口に京橋の親柱があった。


京橋の親柱


 京橋は、江戸時代から日本橋とともに有名な橋でした。橋は、昭和34年(1959年)、京橋川の埋め立てによって撤去され、現在では見られませんが、その名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っています。

 橋北詰東側と南詰西側に残る2本の親柱は、明治8年(1875年)当時の石造の橋のものです。江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形で、詩人佐々木支陰の筆によって、「京橋」「きやうはし」とそれぞれ橋の名が彫られています。

 一方、橋南詰東側に残る親柱は、大正11年(1922年)にかけられた橋のものです。石及びコンクリート造で、照明設備を備えたものです。京橋の親柱は、明治、大正と二つの時代のものが残ることから、近代の橋のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。

中央区教育委員会

風景画家・歌川広重

浮世絵の黄金時代を築く

 広重はここ京橋にほど近い江戸八代洲河岸(八重洲河岸)の火消同心・安藤家の生まれ。「東海道五十三次」などの風景・名所を描いた浮世絵景画家として知られています。引退するまでは同心と画家二足のわらじをはいていたそうです。

 広重の活躍した寛政・享和期は浮世絵の黄金時代といわれ、江戸の町には広重を始め、北斎、写楽、歌麿など多くの浮世絵師が登場し、風景画・美人画・役者絵などバリエーションに富む傑作が描かれました。

「名所江戸百景 京橋竹がし」


 京橋の先に竹の問屋が並んでいました。正月飾り・七夕飾り・竹垣・竹細工など、竹の需要はたくさんありました。秋月に照らされた竹がしの風景が印象的に描かれています。

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