2012年下 町

光増寺〜鈴木松什の墓〜
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葛飾区東金町に光増寺(HP)という寺がある。


山門を入ると、左手に地蔵尊があった。


 区登録有形文化財

舟形地蔵・道標

 元禄7年(1694年)7月に建てられたもので、中央に地蔵の浮彫、その左側に(そうか迄二里半)、右には(ミキいわつきしおんしミち)とあります。以前はここより30m南の街道ぞいにありました。

 岩槻慈恩寺は、坂東三十三観音霊場の第12番札所として知られ、江戸川ぞいの人々の信仰をあつめていました。この道は岩槻慈恩寺道と呼び、舟運が発達するまでは行徳の塩を運ぶ陸路として利用されました。その後慈恩寺へお参りにいく人々の道として賑わいました。「金町村 道行弐百三十五人」と彫られていることから、多くの信仰をあつめていた様子がうかがえます。

葛飾区教育委員会

攝取山蓮池院光増寺


貞應元年(1222年)、開創。

750年以上の歴史を持つ浄土宗の寺である。

本堂左手の墓地に鈴木松什の墓がある。

 葛飾区指定史跡

俳人鈴木松什の墓

 鈴木松什は、寛政10年(1798)柴又村に生まれ通称を安五郎、俳号を無有庵松什といいました。瓦の製造を生業としていましたが、若くして俳諧の道に入り、当時江戸の俳諧師として名の知れていた寥松のもとで学びました。松什は俳句のほか書画にも優れ、中央の俳壇までその名を知られていました。

気も散らで暮れに及ぶや蓮の花   松什

 彼の編集した句集『芭蕉翁発句類題集』などは著名なもので、嘉永6年(1853年)松什没後も柴又を中心に俳句が盛んに作られました。鈴木松什は当区の生んだ文人の先覚として、この地域の文化に寄与した顕彰すべき人物です。

 墓は鈴木家の墓地の左側、法名は「無有庵俊誉松什禅士」

葛飾区教育委員会

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