下 町江戸川区
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史跡四つ股〜川野邸内〜

江戸川区松島1丁目の光福寺の隣に川野邸がある。


川野邸


 川野邸内に「四つ股の道標」が保存されているそうだが、とても大きなお屋敷で、気軽に立ち寄れる所ではない。そこで、知人を通して伺うことにした。

 川野氏に広い敷地の裏まで案内していただくと、そこに「四つ股の道標」が保存されていた。

四つ股の道標


中央に大きな字で「奉拝禮供養塔」と書いてあるのが見える。

「四つ股の道標」の前に江戸川区教育委員会の案内板があった。

史跡 四つ股の道標(川野邸内)

 四つ股とは、旧行徳道と旧千葉街道の交差した所で、現在の小松川橋の少し上流の中堤寄りの地点にあたる。この道標はその場所にあって、旅人の大切な道しるべになっていたが、荒川の開削により、現地保存ができなくなったため、この地に移転したものである。

銘文

正面 月 山秩父 天下泰平
 湯殿山両国 奉拝礼供養塔
 羽黒山坂東 国土安穏
右面 向而右リ 両国
左リ 市川
左面 弘化二乙巳年二月
 川野長兵衛、塩屋常七
背面 向而右リ 行徳
左リ 浅草

 荒川は放水路ができるまで隅田川となって東京湾に流入していたが、たびかさなる氾濫のため明治44年に改修工事が開始され、20余年の歳月をかけて昭和6年3月に完成。

川野氏のお祖父さんがこの地に「四つ股の道標」を移転した。

 弘化2年は1845年。「川野長兵衛」は川野氏の先祖。ただし名前は襲名するから、何代目か、分からない。

今年の夏は記録的な猛暑で、川野邸の庭に蝉が飛び交う。


この蝉は川野邸の蝉ではない。向島百花園で撮った蝉である。

 川野氏は中国の漢口にいたことがあるそうだ。漢口は熱い所で、電線に留まった雀が焼き鳥になって落ちてくるという。

川野邸で川野氏のお話を伺う。

 古賀政男の本を口述筆記中で、毎日お忙しいとのこと。川野氏は古賀政男のお弟子さんなのだそうだ。

 古賀政男は明治37年福岡県三潴郡田口村(現:大川市)に生まれる。生家近くに古賀政男記念館が建設され、昭和57年3月1日から開館。現在は観光名所となっているそうだ。また古賀政男が居住した渋谷区の代々木上原には古賀政男音楽博物館がある。

 貧しい生活の中、明治大学商学部に学ぶ。マンドリンが得意で、大正末年には明大にマンドリン・クラブを創設。学資稼ぎにマンドリンやギターを教えていた。明治大学の大学史展示室に古賀政男の使用したギターが展示されている。

 青根温泉に古賀政男歌碑公園があり、歌碑の前に立つと「影を慕いて」のメロディーが流れる。その話をすると「よくご存じですね。」と褒められた。

 古賀政男は戦時中に軍歌も作曲したので、戦犯にされるのではないかと心配したが、米軍は「誰か故郷を想わざる」を聞き、「これは前向きの曲である」として、戦犯にされずにすんだということだ。

 大正元年(1912年)8月、古賀政男は母、姉、弟とともに、仁川に住む長兄を頼って朝鮮へ渡る。7歳の時である。以後、明治大学予科に入学するまで、その地で過ごした。ある時、その頃の思い出を西条八十に話したところ、彼がそれを詞にしたのが「誰か故郷を想わざる」だと伝えられている。

「四つ股の道標」を見に行って、古賀政男の話になるとは思わなかった。

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