当社は、むかし香取宮と称し、元暦元年(1184年)、下総国香取神宮の分霊を勧請し、葛西あわせて三十三郷の総鎮守として創立したものと伝えられ、天正19年11月、徳川家康より御朱印十石を賜わった。享保年間、当社の神官能勢氏の創作した「和歌ばやし」は「葛西はやし」として江戸市中をはじめ近郷一帯の祭礼時に「はやし」として流行し、今なお当地方の郷土芸能の一つとして伝わり、昭和28年11月3日、東京都無形文化財に指定され、今日に至る。
葛 飾 区 葛飾区観光協会 |
文化3年(1806年)9月9日、小林一茶は其日(きじつ)庵四世野逸と香取宮の祭礼を見に行った。 |
文化3年 午刻ばかりに金町に至る。爰の祭りは必ことざまのてぶりもやあらんと、久しくより心にかけて、漸ことし見る日を得るはけふ也けりと、老ほこりにほこり来ぬるに、さはなくて世間にありふるゝ操狂言といふものにぞありける。二人は興ざめて、ふたゝび見るべくもあらず。只松の小陰によりて、痩脛の疲れをさする。 草花に汁鍋けぶる祭哉
『文化三―八年句日記写』 |
明治の初年(百余年前)迄は金町の明神の森の大銀杏として知られていたが、度重なる此の地方の水害のため、官命により排水を容易にする手段として他の松、杉等、昼尚暗き数々の大木と共に伐採を余儀なくされた。しかし、この樹木の生命力は強く、再び自力で芽を吹き出して雄々しく成長し、今日に至った。その旺盛な生命力を称えて『弥栄銀杏』と命名した。(俗称曾孫生え銀杏(ひこばえいちょう)) |
経津主神(ふつぬしのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、徳川家康公の三柱を奉祭している。 |