

|
――貞明皇后御製―― つれづれの友となりてもなぐさめよ ゆくことかたきわれにかはりて ハンセン病に対する偏見が社会に根強く残る昭和の初め、大正天皇の妃・貞明皇后は不運な病に見舞われた人々に深くお心を痛められ、温かい励ましのお言葉と共に多額のお見舞金を屡々全国のハンセン病療養所にお贈りになられた。 後年、そうしたお見舞いが、一足の足袋を縫っては履き縫っては履くという陛下御自身の御暮らしをきびしく切り詰めた上でなされたものであることを知り、病者たちの感激は一入であった。(『全生今昔』「縫われた足袋」) 平成8年、らい予防法の廃止を機に、近代皇室によるハンセン病者救援事業の草分けとなった陛下の御事跡を永く世に遺すため、国立療養所多磨全生園内に「貞明皇后像建立委員会」を結成、財団法人・藤楓協会の御協力を得て製作の運びとなった。 完成されたお像は、広く一般の方々に御覧頂くため地福寺境内に一宇「慰音堂」を建立し、これにお納めることとした。 幾そ度御下賜給ひし皇后陛下(きさきのみや)の ほつれ縢(かが)れるしろき足袋かも お像は、全生園駐在布教師・三輪照峰師詠の右の歌をテーマに、縫いを重ねた足袋を時の林芳信園長にお譲り渡しになっているお姿を表現した。又、彫刻は同園療養者で元船大工・永見謙吉氏の勤刻である。
国立療養所多磨全生園 貞明皇后像建立委員会 |


| インパール作戦による犠牲者を供養する竪琴寺建立一周年記念に寄せてうたう部隊(実は烈兵団58連隊吉本隊)一同当時の想いをうたいます。 |
| 小説「ビルマの竪琴」の水島上等兵こと 中村一雄元陸軍曹長88歳 |
|
東日本大震災 物故者追福 被災地復興 祈願之碑 |
