下 町江東区


普門院〜伊藤左千夫の歌碑〜

亀戸天神社の東隣に普門院がある。


善応寺と号す。同所一町ばかり東の方にあり。真言宗にして今大日如来を本尊とす。(慶安二年己丑、住持沙門栄賢博給の誉(ほまれ)あるをもつて、公命を得て寺産若干(そくばく)を賜はり、永く香燭の料に充(あて)しむとなん。)御腰懸松(堂前にあり。昔大樹御放鷹の砌(みぎり)、御腰をかけさせられしとなり。故にこの名あり。)

『江戸名所図会』(福聚山普門院)

普門院


真言宗智山派の寺である。

普門院(開運毘沙門天)

 由来

 普門院は真言宗の名刹で、福聚山聚善應寺と号します。大永2年(1522年)三股(墨田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現・足立区千住)城中に創建され、元和2年(1616年)に現在の地に移りました。その時 過って梵鐘を隅田川に沈め、鐘ヶ淵(墨田区)の由来になったと言われています。

 江戸時代の地誌「絵本江戸土産」には、将軍が鷹狩の際に立ち寄り腰を掛けた御腰掛の松が描かれています。

 亀戸七福神のひとつ(昆沙門天)として親しまれています。

御腰掛の松


 ちなみに香取神社が恵比須と大黒天、常光寺が寿老人、東覚寺が弁財天、龍眼寺が布袋尊、天祖神社が福禄寿。

御府内八十八箇所の第40番である。

普門院に伊藤左千夫の墓がある。


大正二年七月三十日歿

中村不折筆。

 元治元年(1864年)8月18日、上総国武射郡殿台村(現山武市殿台)に生まれる。

 明治22年(1889年)、本所区茅場町(現墨田区江東橋三丁目)で牛乳搾取業を始める。

 明治33年(1900年)1月、正岡子規を訪ね、門人となる。

 明治42年(1909年)、土屋文明は伊藤左千夫を頼って上京、「アララギ」に参加する。

 大正2年(1913年)7月30日、50歳にて死去。

伊藤左千夫の歌碑があった。


牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る

 大正10年(1921年)、斎藤茂吉は伊藤左千夫の墓を訪れている。

      墓前

龜戸の普門院なる御墓(みはか)べに水青き溝いまだのこれり


 昭和32年(1957年)、石田波郷は普門院を訪れた。

墓の間に彼岸の猫のやつれけり

『酒中花』

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