下 町台東区
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永久寺〜仮名垣魯文墓〜

三崎坂(さんざきざか)

「三崎」という地名の由来には諸説あるが、駒込・田端・田中の3つの高台にちなむといわれる。安永2年(1773年)の『江戸志』によると、三ア坂の別名を「首ふり坂」といい、30年ほど以前、この坂の近所に首を古僧侶がいたことにちなむという。

台東区谷中3丁目の都道452号神田白山線沿いに永久寺という寺がある。


曹洞宗の寺である。

ガクアジサイ


仮名垣魯文墓

 幕末・明治時代の戯作者、新聞記者。本名は野崎文蔵、号を鈍亭。猫々道人などといった。文政12年(1829年)江戸京橋の生まれ。長じて商家に奉公したが、戯作者を志し、式亭三馬や十返舎一九などの戯作を耽読、諸方を遊歴して作家生活に入った。万延元年(1860年)「滑稽富士詣」を書いて世に出た。

 明治時代になると、当時の文明開化の世相を風刺した「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」等の作品を発表、明治開花期の花形作家となった。のち、ジャーナリズムの世界に転じ、「横浜毎日新聞」「仮名読新聞」「いろは新聞」「今日新聞」などに関係し軽妙な文章で活躍。明治12年発表の「高橋阿伝夜叉譚」は世上を賑わせた。明治27年(1894年)11月、66歳で没し、当寺に葬られた。墓石には、聖観音を線刻した板碑(13〜16世紀頃に追善のため造られた供養塔)がはめ込まれている。

 本堂右側の山猫めをと塚は、夫婦の飼猫の供養の碑で、福地桜痴の碑文が刻されている。

台東区教育委員会

山猫めをと塚


 昭和16年(1941年)10月27日、永井荷風は永久寺で仮名垣魯文の墓を見る。

晴れて風あり。午後散歩。谷中三崎町坂上なる永久寺に仮名垣魯文の墓を掃ふ。団子坂を上り白山に出でたれば原町の本念寺に至り山本北山累代の墓及大田南畝の墓前に香花を手向く。南畝の墓は十年前見たりし時とは位置を異にしたり。南岳の墓もその向変わりたるやうなり。


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