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大安楽寺〜「三縁史蹟」の碑〜

日本橋室町から国道6号を日本橋小伝馬町に向かって歩く。

「小伝馬町」交差点の手前に「三縁史蹟」の碑があった。


   都重宝指定

石町宝永時の鐘
江戸傳馬町牢屋敷跡
吉田松陰先生終焉之地

自転車が停めてあって、正面から写真が撮れなかった。

都重寶 石町時の鐘

江戸時代當初の時の鐘で初め江戸城にあり。二代将軍秀忠の時是を石町に移し、地元410町より集めた鐘楼錢で維持され幕末まで石町時の鐘として親しまれた。鐘楼櫓下では蕪村等が夜半亭と号して俳諧の集ひをしていたことは有名である。傳馬町牢に於ける處刑時もこの鐘を合図に執行されたが、定時に鳴るべき鐘が處刑者の延命を祈るが如く、その都度遅れたとあって、一名情けの鐘とも傳へらる。現鐘は旧楼燒損後寳永8年に改鋳したもので、銘に寳永辛卯四月中浣鋳物師大工椎名伊豫藤原重休とある。昭和5年9月石町寳永時鐘を楼建設会に依り十思公園に移され、28年11月都重寳に指定さる。

傳馬町牢屋敷跡

大安楽寺、村雲別院、身延別院、十思小学校及び十思公園を含む一帯の地は江戸時代の傳馬町牢屋敷跡である。牢屋敷は慶長の頃常盤橋際より移り明治8年5月市ヶ谷囚獄が出来る迄存した。幕末の時牢屋頭に大番衆石出帯刀御□(※「木」+「豕」)御用山田淺右衛門がつとめた。當時勤王志士96名が處刑されている。

吉田松陰先生終焉之地

長門の藩士吉田松陰先生は兵学に通じ憂國慨世の念篤く萩の松下村塾で多くの人士育成は遂に有爵者6名、贈位者17名、有位者14名といふ著名士を出した。先生は國事を論じた罪により安政6年7月傳馬町牢に囚はれ、同年10月27日時30歳にて惜しくも最期をとげた。

江戸史蹟保存協賛會

昭和51年12月吉日 小伝馬町1丁目町会長柿澤常次郎寄贈

交差点を曲がって、大安楽寺へ。


準別格本山 新高野山大安楽寺

江戸三十三箇所第5番札所。

高野山真言宗の寺である。

新高野山 大安楽寺縁起

抑も此の地伝馬町は江戸時代、徳川幕府の牢獄の所在仕し所なり。当山開基山科俊海大僧正、明治初年、高野山より錫を六本木の五大山不動院に留め、化を十方に布く。時、偶々、此地伝馬町牢、処刑場跡に燐火の燃ゆるを見、大悲禁ずる能はず。幾万余の知られざる無告の霊、鬼哭愁々として寄辺なきを弔ひ、又安政の大獄で知られる吉田松陰等、当地で処刑された勤王の志士の霊を慰め、又一つには牢跡を以て浄地となし四隣の繁栄に資せん事を希念し、明治5年より勧進し、同8年一宇を建立。高野山より弘法大師を勧請し本尊となす。又処刑場跡には延命地蔵菩薩を建立し、堂塔、伽藍を整備(現十思公園を含む)これを当山の濫觴とす。爾来尊崇の信仰を聚め都心に輪喚の美を競うも、大正12年の大震火災にかゝり、昭和4年今日の規模となり現在に及ぶ。昭和29年都史蹟指定。

延命地蔵菩薩


爲戦歿殉難諸霊菩提

爲囚死群霊離苦得脱

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