元禄十七甲申のとし今年寶永に改元 美濃の國へ下りける時寐物かたりと いふ里をとほりて ふむ足や美濃に近江に草の露 |
名におふ寢物語といふ所は、人家の間三尺ばかり隔てゝ美濃と近江の境なり。左の方に寢物語並車返しの由來をひさぐ書付ありしが、まだ朝のほどにて、雨さへふれば門もあけず輿はとく行過ぬ。 |
近江と美濃の国境は、この碑の東10メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅篭があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(1159)後、源義朝を追って来た常盤御前が「夜ふけに隣の宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも「源義経を追ってきた静御前が江田源蔵と巡り会った」所とも伝えられています。 寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にも、ここが描かれています。 ひとり行く旅ならなくに秋の夜の 寝物語もしのぶばかりに 太田道灌 |
平成17年(2005年)2月14日、山東町は米原町、伊吹町と合併して米原市となった。 |