2012年滋 賀

長浜八幡宮〜芭蕉の句碑〜
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長浜市宮前町に長浜八幡宮がある。


 御祭神は足仲彦尊(仲哀天皇)、誉田別尊(応神天皇)、息長足姫尊(神功皇后)。

 延久元年(1069年)、源義家が後三条天皇の勅願を奉じて京都の石清水八幡宮から御分霊を迎え奉祀したもの。

長浜八幡宮


秀吉公と長浜八幡宮

 長浜町及びその周辺の7郷(中世の八幡荘の区域)を氏子圏とする長浜八幡宮は、豊臣秀吉公と深いつながりがあります。天正元年(1573年)、近江北部を織田信長から与えられた秀吉公は、湖岸の今浜村附近に城下町(現在の長浜市街地)造営を計画しました。その際、造営予定地内(旧八幡町附近)にあった本社を現在地に移転させ、東西2町・南北1町の社地を年貢免除地として保証したといいます。

 長浜城主になった秀吉公は、信長の浅井氏攻めで荒廃した社殿の復興を行い、天正2年(1574年)2月20日には社領160石を寄進、天正8年(1580年)には社殿の造営を行ないました。また、天正9年8月3日には、「御れう人」(誰を指すかは諸説あり不詳)の「息災延命」を祈って、「阿弥陀三尊懸仏(かけぼとけ)」を奉納しています。

 長浜八幡宮には、寛政9年(1797年)に200回忌の本尊として描かれた秀吉公の画像が伝来します。これは、江戸時代においても、本社を保護した秀吉公を祀る信仰行事が連綿と行なわれていたことを示しています。

長浜八幡宮に天満宮がある。

天満宮の前に芭蕉の句碑があった。


をりをりに伊吹をみてや冬籠

出典は『笈日記』(大垣部)。

千川亭」と前書きがある。

『後の旅』には「伊吹をみては」とある。

千川亭は大垣藩士岡田治右ヱ門邸。宮崎荊口の次男。

 元禄4年(1691年)10月、芭蕉は上方から江戸に向かう途中で大垣に立ち寄り、大垣藩士岡田治右ヱ門邸に泊まった。

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