種田山頭火の句碑

ふるさとは遠くして木の芽

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防府市松崎町に防府天満宮がある。


防府天満宮の裏山に天神山公園がある。

天神山公園に大きな山頭火の句碑があった。


ふるさとは遠くして木の芽

昭和7年(1932年)3月21日、嬉野から早岐の間で詠まれた句。

夕方、一文なしのルンペンが来て酒を飲みかけて追つぱらはれた、人事ぢやない、いろいろ考へさせられた、彼は横着だから憎むべく憐れむべしである、私はつゝましくしてはゐるけれど、友情にあまり恵まれてゐる、友人の厚意に甘えすぎてゐる。

   ・ふるさとは遠くして木の芽


句はちよいちよい出来ますけれど、山頭火臭ぷんぷん、近く一新するさうです!

   すみれたんぽぽさいてくれた

   ふるさと遠くして木の芽

昭和7年4月1日、木村緑平宛書簡。

おたよりうけとりました、へうへうとして歩くのでなくて、どうやら、とぼとぼよぼよぼさまよふやうになりました、此春はぜひどこかに落ちつきます、おちつけさうです、しかし暫らくの間、これから平戸へまはり五島めぐりでもいたしますつもり、当地滞在は廿六日ころまで、もう一度はおたよりがいたゞけませう。

   ふるさとは遠くして木の芽

昭和7年5月24日、田代英叟(俊)宛書簡

全国で一番大きな山頭火の句碑である。

『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、33番目の山頭火句碑。

自由律俳人種田山頭火

 本名は種田正一。明治15年、防府市八王子に生れる。松崎尋常高等小学校、周陽学校(現・防府高校)卒業、早稲田大学を中退し帰郷後、防府市大道で酒造業を営み、かたわら萩原井泉水に師事し自由律俳句を学ぶ。

 大正14年(44歳)出家し、熊本県植木町に「味取観音堂」の堂守となったが、のち全国を行乞行脚する俳人となった。

 昭和7年、7年間の漂泊から小郡町に「其中庵」を結び、昭和13年、山口市湯田に「風来居」を、昭和14年、松山市に「一草庵」を結び、昭和15年10月11日未明、同庵にて没す。行年59歳。

 山頭火の独自な短律俳句の評価は極めて高く、俳名は全国に知られ「昭和の芭蕉」とまでいわれている。

 この句碑は昭和57年3月21日、生誕百年を記念し俳友大山澄太が建立した。

 なお、山頭火の句碑は、全国に多数ある。

防府天満宮

防府だけでも80基以上の山頭火の句碑があるという。

私は山頭火が防府の生まれだということをうかつにも忘れていた。

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