種田山頭火の句碑

分け入っても分け入っても青い山

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鳥取市用瀬町用瀬の用瀬町県立図書館がある。


用瀬町県立図書館に種田山頭火の句碑があった。


分け入っても分け入っても青い山

昭和59年(1984年)3月、建立。

種田山頭火句碑

 この句は高千穂で読んだものといわれるが、用瀬に持ってきてもよく似合う。明治15年山口県西佐波令村(現防府市)に生まれる。大地主であったが、文学と酒好きと経営のまずさに、父の道楽があいまって破産。妻子とともに熊本に移った。しかし酒の上での奇行がおさまらず、44才で出家し、九州・四国はおろか遠く信濃路、北陸路まで行乞の旅を続け、終始自分の苦悩・心情を吐き出す独特の俳句を詠みつづけ、漂白の俳聖、昭和の芭蕉と呼ばれている。漂白の旅をつづった行乞日記の昭和2、3年頃を、なぜか破り焼き捨てたので、山陰路での記録がなく、山陰には来訪していないだろうと長い間言われていたが、昭和3年本町馬橋に立ち寄り、自筆のこの句を森田家に残していたことが明らかになった。

 防府山頭火研究会の資料によれば、本町の碑は全国で45番目の建立であるという。近年ますます人気が高まっている。

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