種田山頭火の句
松はみな枝垂れて南無観世音
『行乞記 三八九日記』に「松はみな枝たれて南無観世音(味取観音堂の耕畝として)」とある。 |
大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 |
松はみな枝垂れて南無観世音 |
大正13年(1924年)、山頭火は熊本市報恩寺(千体仏)の望月義庵老師について参禅修行。 大正14年(1925年)、44歳で出家得度して耕畝と号し、同年3月5日から味取観音の堂守として瑞泉寺に独住した。 昭和8年(1933年)、隣船寺第十六世田代宗俊和尚は全国で最初に山頭火の句碑を建立。 |