種田山頭火の句碑
生死の中の雪ふりしきる
「文学のこみち」には数多くの文学碑があるが、その中に6基の山頭火句碑があった。 |
大正14年(1925年)、種田山頭火は熊本市の報恩寺で出家得度。植木町瑞泉寺の味取(みどり)観音堂堂守となる。 大正15年(1926年)4月、行乞漂泊の旅に出て全国を行脚。 |
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)
生死の中の雪ふりしきる 木の葉散る歩きつめる |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、32番目の山頭火句碑である。 |
九月十六日 曇、時雨、人吉町行乞、宮川屋(三五・上) 一昨夜も昨夜も寝つかれなかつた、今夜は寝つかれる(ママ)いゝが、これでは駄目だ、せつかくアルコールに勝てゝも、カルモチンに敗けては五十歩百歩だ。 二三句出来た、多少今までのそれらとは異色があるやうにも思ふ、自惚かも知れないが。―― |
・かなかなないてひとりである 一すぢの水をひき一つ家の秋 ・焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか |
霧島がまともにそびえてゐます、行乞は時々つらいと思ひますけれど、死んでしまひたいような気分になることもありますけれど、山はゆつたりとしてゐるので、人間もまたのんびりとしてきます。 焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか
昭和5年9月19日、木村緑平宛書簡。 |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、69番目の山頭火句碑である。 |
熊本県界 ・こゝからは筑紫路の枯草山 自嘲 ・うしろ姿のしぐれてゆくか 大宰府三句 しぐれて反橋二つ渡る ・右近の橘の実のしぐるゝや ・大樟も私も犬もしぐれつゝ |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、14番目の山頭火句碑である。 |
十二月廿七日 晴后雨、市街行乞、大宰府参拝、同前。 九時から三時まで行乞、赤字がさうさせたのだ、随つて行乞相のよくないのはやむをえない、職業的だから。…… 大宰府天満宮の印象としては樟の老樹ぐらいだらう、さんざん雨に濡れて参拝して帰宿した。 宿の娘さん、親類の娘さん、若い行商人さん、近所の若衆さんが集つて、歌かるたをやつてゐる、すつかりお正月気分だ、フレーフレー青春、下世話でいへば若い時は二度ない、出来るだけ若さをエンヂヨイしたまへ。 |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、53番目の山頭火句碑である。 |
十月廿一日 曇、それから晴、いよいよ秋がふかい。 朝、厠にしやがんでゐると、ぽとぽとぽとぽとといふ音、しぐれだ、草屋根をしたゝるしぐれの音だ。 ・おとはしぐれか といふ一句が突発した、此君楼君の句(草は月夜)に似てゐるけれど、それは形式で内容は違つてゐるから、私の一句として捨てがたいものがある。
「其中日記(一)」 |
三月六日 曇、をりをり雨。 地久節。 亡母四十七年忌、かなしい、さびしい供養、彼女は定めて、(月並の文句でいへば)草葉の蔭で、私のために泣いてゐるだらう! 今日は仏前に供へたうどんを頂戴したけれど、絶食四日で、さすがの私も少々ひよろひよろする、独坐にたへかね横臥して読書思索。 万葉集を味ひ、井月句集を読む、おゝ井月よ。
「其中日記(十二)」 |