種田山頭火の句碑
こんなにうまい水があふれている
嘉永3年(1850年)12月5日、吉田松陰は長崎遊学の帰途、護国寺の三十番神を参拝している。 |
一、五日 翳。夕方より雨。豐島喜左衛門來る。相伴ひて護國院三十番神を拜す。夜より微雨。豐島醫術を兼ぬ。 |
昭和5年(1930年)10月8日、榎原(現:宮崎県日南市南郷町榎原)で詠まれた句。 |
十月八日 晴、后曇、行程三里、榎原、栄屋(七〇・上上) どうも気分がすぐれないので滞在しようかとも思つたが、思ひ返して一時出立、少し行乞してこゝまで来た、安宿はないから、此宿に頼んで安く泊めて貰ふ、一室一人が何よりである、家の人々も気易くて深切だ。 やうやく海を離れて山へ来た、明日はまた海近くなるが、今夜は十分山気を呼吸しよう。 ・こんなにうまい水があふれてゐる ・窓をあけたら月がひよつこり |
こんなにうまい水があふれてゐる どうも水より酒がうまくて助かりません、たゞし此地方のシヨウチユウにはあてられました、どうぞお大切に祈ります、お宅に郵便物がまいりましたならば留置願います。
昭和5年11月1日、松垣昧々宛書簡 |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、96番目の山頭火句碑である。 |
昭和七年行乞した島原にも少しですが山頭火ファンがいます。そのファンの念願であった大山澄太先生の講演会を、昭和六十三年春、護国寺で開催しました。感銘深い話に山頭火への敬慕の念愈々募り、ファンの数も増えました。 その後、庭園整備の竣工に伴い記念碑にと思い立ち、湧水豊富な庭に因み、この水の句を選びました。しかし、近年の乱開発により、水の都島原の湧水群にも枯渇の兆しが見られ、「こんなにうまい水があふれている」の句に、恵まれ過ぎた水に甘えている我々に警鐘になればとの願いも込めて、湧き水の流れる池のほとりに建立しました。 長崎諏訪神社と時を同じくし、彫刻も同じ「山頭火の世界」の版画家小崎侃先生に依頼し、ささやかな切石にかわいい山頭火のうしろ姿のレリーフの入った、ちょっとめずらしい句碑が建立できました。
『山頭火句碑集』 |
昭和7年(1932年)2月16日、山頭火は島原に着き、22日まで島原で休養。 |
二月十六日 行程三里、島原町、坂本屋(投込五〇・中) さつそく緑平老からの来信をうけとる、その温情が身心にしみわたる、彼の心がそのまゝ私の心にぶつつかつたやうに感動する。 |