種田山頭火の句碑
旅のすゝきのいつ穂にてたか
種田山頭火(明治15年−昭和15年)禅宗の僧であり俳句と酒と旅に生きた自由律俳人。昭和5年9月、矢岳をこえ吉松より行乞して京町温泉に入る。自筆のこの句はこの旅中に詠んだ句である。 |
九月十七日 曇、少雨、京町宮崎県、福田屋(三〇・上) 今にも降り出しさうな空模様である、宿が落着いてゐるので滞在しようかとも思ふたが、金の余裕もないし、また、ゆつくりすることはよくないので、八時の汽車で吉松まで行く(六年前に加久藤越したことがあるが、こんどは脚気で、とてもそんな元気はない)、二時間ばかり行乞、二里歩いて京町、また二時間ばかり行乞、街はづれの此宿に泊る、豆腐屋で、おかみさんがとてもいゝ姑さんだ。 |
今日出来た句の中から、―― はてもない旅の汗くさいこと ・このいたゞきに来て萩の花ざかり 山の水はあふれあふれて ・旅のすゝきのいつ穂にでたか ・投げ出した足へ蜻蛉とまらうとする ありがたや熱い湯のあふるゝにまかせ |