種田山頭火の句碑
はっきりみえて水底の秋
愛媛県下でも有数の桜の名所となっている武丈。 約100種、1,500本の桜並木は、春になると加茂川堤にいくつもの花のアーチを作り出します。 天保年間に、加藤定右衛門(俳号武丈)という風流な歌人がいて、ここの風景をこよなく愛し、付近にたくさんの桜を植え、風月を友として一生を送ったと伝えられています。 人々はここの桜を定右衛門の俳号をとって武丈桜と呼んだことから、当地の地名となったということです。 |
加茂川をうたう |
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はっきりみえて水底の秋 |
この句は、漂泊の俳人、種田山頭火が四国遍路の途中、昭和14年10月13日、小松の香園寺を早朝出発し、「吉祥寺」、「前神寺」の札所を巡り経て、ここ武丈堤に旅杖を止め加茂川の清流をすくって味わい詠んだものである。 ここに、郷土の自然の恵みの中から息ぶく市民の心を育むため、この句碑を建てる。 |
武丈公園は、江戸時代末期、明神木の庄屋加藤定右衛門が、加茂川の清流に洗われるこの地に住居を建て「武丈庵」と称し桜を植えたのが始まりと伝えられています。 この公園の桜は、笠桜・彼岸桜・八重桜・染井吉野など30種類もあり、春には、八堂山中腹の百桜園(百余種類の桜園)と合わせて、約1,200本の桜が咲き乱れます。 右手に見える小高い山が八堂山で、約1kmの八堂山遊歩道を登りきると弥生時代の遺跡があり、当時の住居や倉庫が復元されています。 |