2022年埼 玉

ここに浦中ありき」〜埼玉県知事公館〜
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さいたま市浦和区常盤4丁目に埼玉県知事公館がある。

埼玉県知事公館前に「ここに浦中ありき」と書かれた碑があった。


平成7年(1995年)10月5日、創立百周年記念事業として建立。

ここに
浦中ありき


ここ武蔵野の鹿島台の地に、埼玉県立中学校が誕生した。

明治28年に県立第一尋常中学校の設置告示、翌年開校浦和中学校の前身である。

昭和12年領家へ移転、現在の浦和高等学校となった。

創立百年を迎え、発祥の地に記念碑を建立す。

明治39年(1906年)、校歌制定。作詞:大和田建樹、作曲:鈴木米次郎。

平成4年(1992年)10月24日、浦和画家の高田誠死去。

平成8年(1996年)、画家の斎藤三郎は浦和市で死去。享年78。

タレントの愛川欽也は浦和高等学校中退だそうだ。

平成27年(2015年)4月15日、80歳で没。

浦和高等学校の卒業生で一番有名なのは宇宙飛行士の若田光一であろう。

さいたま市役所本庁舎に埼玉サッカー発祥の地碑があった。


平成9年(1997年)4月、建設。島田忠恵制作。

埼玉サッカー発祥の地碑文

 埼玉のサッカーは明治41年6月に埼玉師範(現在の埼玉大学)ではじまり、多くの指導者が浦和を中心に教師として赴任したことにより、普及・発展をとげました。

 ここ浦和市役所は埼玉師範の跡地に建てられたものであり、まさに埼玉サッカー発祥の地であります。

 未来に向けて、サッカーの街づくりをより一層推進するため、埼玉師範が全国大会で初優勝を飾ってから60周年目の本年、埼玉サッカー発祥の地の記念碑を建設いたしました。

 平成13年(2001年)5月1日、浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。浦和市役所の庁舎がさいたま市役所の本庁舎となった。

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