2008年埼 玉

勝願寺〜芭蕉忌千句塚〜
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鴻巣市本町に勝願寺という寺がある。


浄土宗の寺院で、関東十八檀林のひとつ。

 文禄2年(1593年)、徳川家康は鴻巣で鷹狩を行い、勝願寺を訪れているそうだ。

勝願寺仁王門


大正9年(1920年)再建。

 安永10年(1781年)1月19日、平橋庵敲氷は勝願寺に参詣している。

けふハ御忌なれは何かし勝願寺に詣つ。関の東の十八檀林とかや。木立物ふりて鉦の音すミワたりぬ。眠り覚たらん人ほと念仏せよと、祖師のしめし給ひし事おもひ出られて

念仏にも眠らは眠れ春の雨
   氷


本堂前の八重桜


明治24年(1893年)、本堂再建。

本堂の左に「芭蕉忌千句塚」があった。


芭蕉忌千句塚


右に芭蕉の句。

けふはかり人も年よれ初時雨

出典は『續猿蓑』

 元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。

裏に柳几の句が刻まれている。

   碑面蕉翁の吟にて

夕暮をこらえこらえて初時雨

天明7年(1787年)、勝願寺住三十世仁譽代建立。

江戸期の俳人横田柳几

 本名を横田三九郎盛英(8代目)といい、享保元年(1716年)鴻巣宿に生まれました。家業は歴代酒造業を営む旧家で、元の石橋町(現本町6丁目)にありました。若くして俳諧を学び、初め伊勢派の中川乙由の門に入りますが、後にその高弟佐久間柳居に師事し、布袋庵柳几と号しました。生涯を通じて旅を好み、多くの紀行文を残しています。

 宝歴13年(1763年)、芭蕉翁70年忌にあたり追善興業として布袋庵に20余名が集まり、1日千句の吟を行っています。そして、天明7年(1787年)には、その千句を壺に納め、菩提寺の勝願寺に「芭蕉忌千句塚」を建立しています。

 編著に『筑紫紀行』『百花集』『大和耕作集』などがありますが、多くは明和4年(1767年)の「振り袖火事」で布袋庵も類焼し、多くの作品が失われてしまったようです。

 天明8年(1788年)没。享年73歳。墓地(埼玉県指定旧跡)は本町勝願寺にあります。

辞世の句

老らくの寝こゝろもよし春の雨

「こうのす議会だより」(第27号)

「芭蕉忌千句塚」の左に笠島庵春友辞世の句碑がある。


紫陽花や人の寄るのもおもしろき

 笠島庵春友は鴻巣の人。戯作者為永春水の門人。俳諧を小築庵春湖に学ぶ。

明治31年(1898年)6月25日、74歳で没。

鴻巣公園に躑躅(つつじ)が咲いていた。


鴻巣公園は勝願寺の学寮が置かれた場所である。

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