大正5年(1916年)9月2日「雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治が、盛岡高等農林2年のとき、秩父地方の土性地質調査の途中熊谷で宿泊し詠んだ歌です。 |
元禄4年(1691年)10月9日、森川許六は彦根藩中屋敷を出て彦根藩に帰る。10日、熊谷寺で句を詠んでいる。 |
熊谷寺といふ所は、むかし次郎直実といひける人すみける也。熊谷寺といふ寺はかの人菩提所也 |
焼(たき)あます熊谷でらの木葉かな |
延享2年(1745年)4月6日、横井也有は尾張公のお供をして江戸を下る。7日、熊谷寺には立ち寄らず、本庄に泊まる。 |
七日 熊谷寺に直実が像などあるよし、みちのあハ(わ)たゞしくて立よらず。 熊谷もはては坊主やけしの花 今夜は本庄に泊る。 |
寛政5年(1793年)9月3日、田上菊舎は熊谷寺の開山忌に参詣した。 |
此日の道十里に近し。熊谷宿に泊。幸ひ三日より四日迄、かの熊谷山開山忌とて、人々群集せ。幸に参詣して、ありし古歌など思ひいでゝ |
われも道にうしろは見せじ月の笠 |
享和2年(1802年)4月5日、太田南畝は熊谷宿に泊まり熊谷寺を訪れている。 |
布施半蔵といへる宿にとまり定めて、湯あみ物くひ酒のみなどしつゝ、まだ日も暮ねば蓮生寺のうら門より入てみるに、本堂の額、熊谷寺の三字は支那伝法紗門高泉書とあり。門の額は蓮生山の字なり。日くれかゝりて筆者の名わかたず。熊谷蓮生法師の事は人みなしる所也。この所に終とりける事、くはしく縁起にみえたり。 |