2021年埼 玉

久伊豆神社〜越谷吾山句碑〜
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越谷市越ヶ谷1700に久伊豆神社(HP)がある。

参道左手の茂みに隠れるように土井晩翠の歌碑があった。


気吹の屋
いつのみ霊の宿れりし
あとなつかしき越ケ谷のさと

昭和17年(1942年)10月、建立。

第三鳥居


平成7年(1995年)9月28日、竣工。

伊勢神宮より拝領した第61回遷宮撤去材の皇大神宮板垣南御門を再建。

木遣り歌碑


埼玉県指定 旧跡諧 平田篤胤仮寓跡


久伊豆神社の藤


 この藤は、株廻り7メートル余り、地際から7本にわかれて、高さ2.7メートルの棚に枝を広げています。枝張りは東西20メートル、南北30メートルほどあり、天保8年(1837年)越ヶ谷町の住人川鍋国蔵が下総国(現千葉県)流山から樹齢50余年の藤を舟で運び、当地に移植したといわれるものといわれています。樹齢およそ200年と推定されます。

越谷吾山句碑


出る日の
 旅のころもや
   はつかすみ

 越谷市指定 有形文化財 史跡

越谷吾山句碑

 俳人・国学者である越谷吾山は享保2年(1717年)越ケ谷宿新町の名主・会田家の生まれで、天明7年(1787年)に享年71歳にて没する。

 吾山は安永4年(1775年)には、諸国の方言を分類、解説した「諸国方言物類称呼」を著し、方言学の祖と称され、俳諧の師匠としても法橋の位を授けられた。吾山の俳諧書には、「翌檜(あすなろ)」や「朱紫(あけむらさき)」などがある。

 ここに建てられている吾山の句碑は、嘉永2年(1849年)1月、伊勢太々講中によって建碑されたもので、高さ1.15メートル、幅98センチ、厚さ最大27センチの自然石からできており、表面には「出る日の旅のころもやはつかすみ」と刻まれている。

 この句は吾山が江戸に旅立つときの句であったらしく、後世において、越ケ谷の人々は吾山を忘れることなく、その徳を慕って建碑したものとみられる。

越谷市教育委員会

知らなかった。

久伊豆神社


 久伊豆神社は、祭神として大国主命、事代主命など五柱が祀られ、例祭は毎年9月28日である。

 当社の創立年代は不詳であるが、社伝によると平安末期の創建といい、鎌倉時代には武蔵七党の一つである私市党(さきいとう)の崇敬を受けたという。古来、武門の尊崇を集めて栄え、室町時代の応仁元年(1467年)に伊豆国(静岡県)宇佐見の領主宇佐見三郎重之がこの地を領したとき、鎮守神として太刀を奉納するとともに社殿を再建したと伝えられる。江戸時代には、徳川将軍家代々の信仰が厚かった。

 当社は、災除招福、開運出世の神として関東一円はいうまでもなく、全国に崇敬者がある。また、家出をしたり、悪所通いをする者に対して、家族の者が"足止め"といって狛犬の足を結ぶと必ず帰ってくるといわれている。

 境内には、県指定史跡となっている幕末の国学者平田篤胤の仮寓跡や、篤胤の門人が奉納したといわれる県指定天然記念物の藤の老樹が枝をひろげている。

 なお、当社は昭和59年度に県から「ふるさとの森」の指定を受けている。

埼玉県
越谷市

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