2009年埼 玉

大光寺〜見透灯籠〜
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上里町勅使河原のJR高崎線沿いに大光寺という寺がある。


勅使山大光寺


大光寺

 大光寺は臨済宗円覚寺派の寺で、山号を勅使山という。建保3年(1215年)に武蔵七党の一党である丹党の勅使河原権三郎有直が創建したもので、勧請開山は日本へ初めて禅宗を伝えた栄西禅師である。

 その後、応永18年(1411年)に現伊勢崎市の泉龍寺白崖宝生禅師より再興された。しかし、天正10年(1582年)の神流川合戦により総門のみ残し焼失した。

 明治42年2月に高崎線の灰煙を被り全焼したため、本堂等を再建し現在に至っている。

 なお、当寺には栄西禅師直筆の扁額(※「扁」は、ぎょうにんべん)と総門、忠臣直重父子の冥福を祈った不背碑(親子地蔵)、六角のガン部を持った石憧、神流川の渡しの標準と旅の安全を祈った見透灯籠が現存し、貴重な文化財として知られている。

 毎年4月23日に勅使河原氏の慰霊祭でもある蚕影山(こかげさん)が行われ、養蚕の道具に加え、最近では植木市等がたち、大変な賑わいを見せている。

埼 玉 県
上 里 町

大光寺本堂


本堂の左手に見透灯籠があった。


大窪詩仏の筆で「常夜燈」と書かれている。

 横面には新町の田中秋因の和歌「燈に背かざりせば闇路にも迷はせまじ行くも帰りも」が刻まれている。

 文化12年(1815年)夏、本庄宿の戸谷半兵衛建立。「戸谷半兵衛」は俳人戸谷双烏

 文政5年(1822年)の洪水で倒れたが、安政4年5月に再建。明治20年代に大光寺に移転されたそうだ。

JR高崎線


晩秋である。

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