2011年大 阪

浮瀬亭俳跡蕉蕪園〜碑巡り〜
indexにもどる

大阪市天王寺区伶人町に大阪星光学院がある。


大阪星光学院に蕉蕪園がある。

浮瀬亭俳跡蕉蕪園

 新清水寺の北隣りにあった浮瀬は、江戸時代大阪を代表する料亭であった。当初、清水の茶屋とも晴々亭とも呼ばれていたが、所蔵するアワビ貝の奇盃「うかむ瀬」が有名となるにつれて、料亭の名もいつしか浮瀬と呼ばれるようになったようだ。

 元禄7年(1694年)9月26日、この茶店で芭蕉が「この道や行人なしに秋の暮」を発句に、支考ら10人と半歌仙を巻き、旅懐と題して「松風の軒をめぐりて秋暮れぬ」の句を、茅渟奇淵が句碑として建立。裏面に不二庵二柳が松風碑賛を記した。また芭蕉を追慕する念の篤かった蕪村も浮瀬の句を2句残した。

芭蕉「所思碑」


此道を行人なしに秋の暮

元禄7年(1694年)9月26日、浮瀬亭で所思と題して詠んだ半歌仙の発句である。

書は出光美術館蔵「曲翠宛書簡」(9月25日付)にある芭蕉の真跡である。

「此道や」の初案である。

 昭和58年(1983年)5月24日、芭蕉二百九十年忌追善に大阪星光学院高等学校二十八期生が建立。

芭蕉「旅懐碑」


此秋は何で年よる雲に鳥

元禄7年(1694年)9月26日、浮瀬亭で詠んだ句である。

書はお茶の水女子大学名誉教授井本農一先生の揮毫による。

 昭和59年(1984年)3月1日、芭蕉二百九十年忌追善に大阪星光学院高等学校二十九期生が建立。

蕪村「うかぶ瀬」句碑


うかぶ瀬に沓並べけり春のくれ

   うかふ瀬に遊ひてむかし
   栢莚がこのところにての狂句を
   おもひ出て其風調に倣ふ

小春凪真帆も七合五勺かな

 昭和57年(1982年)11月1日、蕪村二百年忌追善に大阪星光学院高等学校二十七期生が建立。

「半歌仙」碑


此道や行人なしに秋の暮
   ばせを

 岨の畠の木にかゝる蔦
   泥足

月しらむ蕎麦のこぼれてに鳥の寐て
   支考

 小き家を出て水汲む
   游刀

天気相羽織を入て荷拵らへ
   之道

 酒で痛のとまる腹癖
   車庸

元禄7年(1694年)9月26日、浮瀬亭で詠んだ半歌仙である。

表面の書は東京大学総合図書館所蔵竹冷文庫の泥足『其便』下を複写拡大したものである。

 平成5年(1993年)10月12日、浮瀬亭俳跡蕉蕪園開園10周年記念、芭蕉三百年忌追善に大阪星光学院高等学校三十九期生が建立。

芭蕉「松風碑」


松風の軒をめぐりて秋くれぬ

 出典は『泊船集』(風国編)。「大坂清水茶店 四郎右衛門にて」と前書きがある。

寛政12年(1800年)秋、茅渟奇淵建立。

碑陰に不二庵桃居の「正風宗師松風碑賛」が記されている。

をしてるやよし芦のなに波江に
影うかふせの昔ゆかしき
いしふみの石まつかせの松
こゝに翁のあとは絶せし

   芭蕉三世劣孫 不二庵桃居誌

茅渟奇淵は菅沼氏、泉州堺の人。大阪に出て二柳の門に学ぶ。

 明和8年(1771年)4月8日、蝶夢は桐雨を伴って伏見で舟に乗り、清水の浮瀬亭に上る。

 日もくれ竹のふしみの舟にのりて、難波につくに、こゝらしれる人々名残お(を)しまんとて、共に清水のうかぶ瀬といふ酒楼に上りて、

   住よしの松から来たか青あらし

 西の海づらを見わたして、あの海の限りまでも行んとおもふこゝろ細し。此津の留別とて、

   うき草や芦も一夜の居り処   桐雨


2011年大 阪