約千年余り前、今の大阪市阿倍野の里に阿部保名が住んでいた。 父は豪族であったが人にだまされ所領を没収されたので、保名は家の再興を願い、当地信太森葛葉稲荷に日参していた。 ある日のこと、数人の狩人に追われた一匹の白狐を助けた。そのとき、保名は手きずを受けその場に倒れた。 白狐は葛の葉という女性に化け、保名を介抱して家まで送りとどけた。それから数日後葛の葉は保名を見舞い、やがて互いの心が通じ合い、妻になり童子丸という子供をもうけた。 その子が5才のとき、正体がわかり、 「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」 の1首を障子に書き残して信太の森へ帰ったといい伝えられる。 この葛葉伝説にまつわる狐がおまつりされているのがこの神社で今も人々の信仰をあつめている。
和 泉 市 (財)和泉市産業・観光振興会 |
森は 大あらきの森。しのびの森。ここひの森。木枯の森。信太の森。生田の森。木幡の森。うつ木の森。
『枕草子』 |
昭和60年(1985年)12月、和泉ロータリークラブ創立25周年記念に建立。 |
和泉式部が夫橘道貞(和泉国司)と仲違いしていた時女流歌人赤染衛門が次の様な和歌を贈って慰めたことがある。 うつろはてしはし信太の森を見よかへりもぞする葛のうら風 其の返し歌である。共に新古今集に載っている。 |
信太森葛葉稲荷大明神と申し奉るは(日本書紀神代の巻)保食神之なり。 掛巻も畏き保食神は天照大神の御神勅を給はり種穀養蠶又天津日嗣を始め奉り天下萬人に衣食住の道を教へ蒼生の末の片葉に至るまで飢を養い世を賑はしめ給う大神なり。 天下萬民誰か一日として此の大神の御徳を仰がざらん。 和銅元年旧2月初午の日に元明天皇は此の森に御鎮座まします大神を奉りて祭事を為し給うて以来、世人は此の森を信太森と稱して稲荷大神第一の御命婦神白狐の棲と言い伝へり。 晴明伝には稲荷大明神御命婦神若宮葛葉姫大神を奉るとある。保名物語には葛葉姫子別れの古記段も此の神社と言い伝へる。白狐口に筆をくわえて書き残したのが世に有名な左の1首である。 恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 |
○信田森 蜂の巣やみたらし甘き千枝の陰 ○葛の葉 葛の葉も尋て見はやうら表 |