私の旅日記2011年

大阪天満宮〜西山宗因〜
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大阪市北区天神橋に大阪天満宮(HP)がある。


大阪天満宮表門


正保4年(1647年)、西山宗因は大坂天満宮連歌所の宗匠となる。

表門の右側に西山宗因向庵跡がある。

西側の門近くに宗因の句碑があった。


   宵のとし雨ふりける元旦に一ニ梅花

浪華津にさく夜の雨や花の春

      誹談林初祖梅翁西山宗因

大阪天満宮本殿


弘化2年(1845)、再建。

七五三参りの人が多い。

 ほどなく、天滿宮にいたるに、まことや神徳の彭々(ほうほう)たるは、参詣の人どよみにあらはれ、料理茶屋の赤前垂かどになまめき、水ちや屋、揚弓場のかんばり聲往來の心をうごかせ、あるは仙助が能狂言、忠七がうき世ものまね、其外山海の珍物見せもの、芝居、經わざ、曲馬乘、境内に充滿(みちみち)たり

   何ひとつ御不足もなき御繁昌まことに自由自在天神


本殿の左手に「芭蕉翁」の句碑があった。


行年や薬に見たき梅の花

「松尾芭蕉51歳の作」とある。

『もとの水』(重厚撰)に収録されているが、存疑句である。

『芭蕉翁發句集』は「元禄四未歳」、『芭蕉句鑑』も「元禄四未年」とする。

万延元年(1860年)5月、馬田江門人の陽谷・梅円建立。

大阪天満宮境内の北側に摂社白米稲荷がある。


白米稲荷の右手にも「翁」の句碑があった。


楳咲てよろこふ鳥の氣色かな

出典は『芭蕉句選拾遺』

 『風羅袖日記』に「貞享三寅」、『芭蕉翁句解参考』に「貞享三年の吟。」とあるが、存疑句とされる。

明治26年(1893年)冬、芭蕉の二百回忌の建立。

「翁」の句碑の左に宗因の句碑もあった。


なかむとて花にもいたし首の骨   梅翁西山宗因

出典は『牛飼』(燕石編)。

西行の歌のパロディーである。

   題不知

ながむとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそ悲しかりけれ

『新古今和歌集』(巻第二)

平成17年(2005年)6月、西山宗因生誕400年を記念して鶯の会が建立。

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