当宮は平安時代の天長4年(827年)に宇佐神宮より御分霊を勧請し、承和3年(836年)国司により社殿を造営。爾来、皇室も厚く尊祟せられた。 嘉承(1108年)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。仁平三年(1153年)には、鳥羽法皇が60歳の御賀に御祈願を修せられ、神領を定められた。 元暦元年(1184年)には、源範頼が平氏の追討を祈願したのをはじめ、源頼朝、領主(大友、竹中、日根野)、武家の崇敬も非常に厚く、近世には、社家200余、坊舎30を数えた。御本殿は、安政年間に再建された壮麗な八幡造り。参道途中に建つ南大門は、「日暮門(ひぐらしもん)」と称し、壁面には二十四孝等の彫刻が施され、門の横には樹齢3000年の天然記念物の大楠が聳えている。 宝物館には太刀、甲冑、金銅仏等重文6点他を所蔵。 |
この木は、享禄から天文のころ、豊後国主大友宗麟が盛んに外船を引き、神宮寺浦(今の春日浦)において外国貿易を営んだ際、ポルトガル人が持って来て移植をしたものなので、その名をとって樹の名前にしたと言う。 |
御祭神 |
仲哀天皇(帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト)) |
応神天皇(誉田別命(ホンダワケノミコト)) |
神功皇后(息長帯比女命(オキナガタラシヒメノミコト)) |