私の旅日記

轟神社〜「桜塚」〜
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JR九州豊肥本線中判田駅下車。


大分市下判田の大野川左岸の高台に轟神社がある。

参道の鳥居


石段の途中の鳥居


明和9年(1772年)8月、建立。

平成元年(1989年)11月、再建。

轟神社


祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・国狭槌尊(クニサツチノミコト)

社殿の右手奥に「桜塚」があった。


木のもとに汁も膾も櫻哉

元禄3年(1690年)3月2日、伊賀上野風麦亭の歌仙の発句。

『ひさご』の冒頭に収録されている。

明治22年(1889年)2月、七香園石友建立。

松尾芭蕉の句碑

この碑は先年間で辰口より竹中に通ずる大野川の崖の上桜や松の老木の生茂る景勝の地(戸次平野一望)に立っていて地区の人々も時に訪れ通行の旅人も足を止め休遊の箇所でありましたが通行人もなく桜や松の老木も枯れ雑木林となり句碑は倒れ落葉に埋れていたものを光永の清田勉氏が自宅の庭に保管されていましたが地区の文化財保護委員・自治委員・宮総代の有志の方々の要請により清田家(勉氏長男常憲氏)の了解の上当地に移転しました。

又この句碑を建られた七香園石友について

安藤石友 文政7年(1824年)松岡菰田に生れ通称伝藏七香園石友と号し家は醸造を業とし俳人として有名なり

七香園石友の建てた芭蕉の句碑

1、淨雲寺
(松岡)時雨塚
2、〃
(松岡)三日塚
3、吉野臥龍梅
(吉野)初音塚
4、御手洗神社
(松岡)子規塚
5、薬師堂
(松岡)草花塚
6、長興寺
(松岡)菫 塚
7、辰 口
(判田)桜 塚

明治19年〜23年

その地にふさわしい芭蕉の句を地区の俳人を周旋人として建てたものです。

文責 後藤十郎

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