2015年大 分

御手洗神社〜子規塚〜
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大分市大字松岡に御手洗神社がある。


御手洗神社


   昭和57年壬戌3月14日

      御手洗神社式年祭記念

         奉納者   成松 佐藤 昂

      御手洗神社縁起

 氏神御手洗神社は人皇七十三代堀河天皇御宇寛治元年丁卯(1087年)2月17日宇佐八幡宮の御分霊を御勧進し宝柞万歳国家鎮護松岡惣敬社として字山の辻に奉斎いたし後建久4年葵丑(1193年)2月16日現在地の字御手洗に再築す此年春日天満二神を合殿となし8月8日字市場に御神幸以後元禄3年まで497年間絶ゆることなくその後沙汰止みとなれりその故は此年麻疹大いに流行し身罷る者多きが為ともいひ又神輿の戸次に渡り4日間還幸なき為ともいふ

 八幡の神の霊験あらたかなるは深夜に神楽の妙音あり或は神社八丁以内にて白駿馬に打乗者は必ず落馬すともいひ又御手洗の水とていかなる旱魃にも涸れず霊水と敬し眼病に感応ありといへり春日の神は豊後笠和郷鎮座の御分霊を御勧進申し当初字林の山に祭るその年月日は不詳祭日は2月初卯の日なり天満の神は京都北野より上門前山頭に御勧進になり国家鎮護の為祭る御手洗神社はこの三神を祭り世に三社八幡社と奉称す御社殿は宝暦5年乙亥(1755年)7月25日神殿以下を改築し更に文政二年己卯(1819年)拝殿を再び改築して今日に至れり

 昭和20年乙酉(1945年)8月15日太平洋戦争終結せしも国家村落疲弊し祭事も意にまかせず衰微甚だしく近年に至り漸く復興し祭典年毎に盛大に赴く偶々本年は33年の式年祭に当る御創建以来895年を閲す時に佐藤昂氏これを記念し神社の縁起を録し永く千載の形見とするものなり 宮司 豊岡 繁撰文

社殿の手前左手に芭蕉の句碑があった。


子規啼く啼く飛そ急かしき

出典は『あつめ句』

貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の句。

『続虚栗』に「なきなき飛ぞ閙はし」とある。

明治19年(1886年)、安藤石友建立。

御手洗神社の芭蕉塚

子規啼く啼く飛ぶぞ急がしき

 右の句碑は明治19年孟夏のころ建てられた。芭蕉歿後192年の後、今から100年前のことである。芭蕉塚は全国に散在し、九州に150基ほどあり、大分県には43基がある。内訳をみると、中津3、下毛1、豊後高田2、西国東2、東国東1、速見3、杵築1、別府5、大野2、竹田1、玖珠1、日田2、臼杵3、大分14である。

 大分14のうち5基がこの松岡にある。当時、この松岡には石友という秀でた俳人がいた。因みに5基は、御手洗神社の子規塚、浄雲寺の三日月塚、時雨塚、薬師の草花塚、長興寺の菫塚である。

     昭和62年3月(神社御創建900年) 宮司

浄雲寺へ。

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