昔この地域に松寿庵があり、その境内に地蔵堂がありました。 その付近に恵まれない老母と働き者で親孝行な若者「甚吉」が住んでいました。甚吉は朝に夕べに地蔵に参拝して「毎日が幸せであるように」と祈っていました。老母はウリが好物だったので、老いた母への孝心つい畑のうりに手を出し刀で切りつけられたが、この甚吉の平素の気持ちが地蔵に通じ、地蔵が甚吉の身代わりとなって甚吉をたすけたという伝説が今も語り伝えられています。 新しい街づくりが進行するなかで、とかくこのような伝説は忘れ去られたものでありますが、街の姿は変っても少年甚吉の心根は永く活かされ、地域の人々の心の糧となることを願って、ここに少年像を建立したものであります。
大分市長 佐藤益美 |