昔の温泉
裏磐梯弥六沼温泉「裏磐梯高原ホテル」
遠藤十次郎は中村弥六とともに五色沼湖畔に小屋建てて起居しながら、植林を開始した。 |
昭和11年(1936年)9月5日、与謝野晶子は猪苗代から裏磐梯に入り1泊。6日、東山温泉の向瀧へ。 |
泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物温泉(旧泉質名含塩化土類−食塩温泉)。(低張性−アルカリ性−高温泉)PH8.55。泉温は63.4℃。 |
裏磐梯にて歌へる |
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こは我等が思ひ出の宿なり |
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なかば夢見心地の時ぞおくれる |
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再来の日ありやなしや |
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よしありとても過ぎし日は返らじ |
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かたみに交す愛の唄 |
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時に古ゆく哀しさよ |
明治33年、義秀は岩瀬郡大屋村(現白河市)に生まれる。 |
早稲田大学在学中、裏磐梯を訪ねている。 |
昭和13年、第7回芥川賞を受賞。 |
昭和31年、弥六沼に面して詩碑建立。 |
昭和33年、「裏磐梯高原ホテル」開業。 |
昭和44年8月19日、義秀没。 |
『芭蕉庵桃青』が絶筆となった。 |
昭和57年、「裏磐梯高原ホテル」改築。 |
昭和59年6月、現在地に詩碑再建。 |